マザー・テレサの愛した祈り [祈りと平和]

P1150880.JPG

ごらんよ空の鳥 野の白ゆりを

蒔きもせず紡ぎもせずに安らかに生きる

こんなに小さないのちにでさえ

心をかける父がいる

ごらんよ空の雲 輝く虹を

地に恵みの雨を降らせ鮮やかに映える

どんなに苦しい悩みの日にも

希望を注ぐ父がいる

友よ友よ今日も讃えて歌おう

全てのものにしみとおる

天の父の慈しみを

<感謝の祈り~ごらんよ空の鳥~> より

こんにちは♪ALOAH-TICHOO<アロア・ティクー>です☆

今日から3月ですね^-^ 硬かった冷たかった全ての元素が太陽の光でほぐれだし、新しい希望や、命が一斉に萌え出す季節です。そして今年の春はもう二度とないほどの大切な今後の言動の始点だと思います。

先月から様々な心模様が荒波小波と揺れている感じです。でも「弥生」という季節の到来は生命カや美しさにあふれて私たちを勇気付けてくれますよね^-^そんな中ふとアッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」があふれてきました。この祈りは、世界の母、マザー・テレサの愛した祈りだとうかがいました。きょうはこの平和の祈りをアッシジの丘のオリーブの木漏れ日の中で説いていた聖フランチェスコの姿と、マザーテレサの祈られる姿に心寄せ、共に祈りつつ、書き置きたいと思います。

平和の祈りアッシジの聖フランチェスコ~

ああ 主よ 

わたしをあなたの平和の道具にしてください

憎しみのあるところに

愛をもたらすことができますように

争いのあるところに ゆるしを

分裂のあるところに 一致を

疑いのあるところに 信頼を

誤りのあるところに 真理を

絶望のあるところに 希望を

悲しみのあるところに 喜びを

闇のあるところに 

光をもたらすことができますように

ああ 主よ わたくしに

慰められることより 慰めることを

理解されるよりも理解することを

愛されるよりも 

愛することをもとめさせてください

わくしたちは与えるので受け

ゆるすのでゆるされ

自分自身を捨てることによって

永遠の命に生きるのです

アーメン

私は今生はキリスト教信の洗礼は受けていません。でもイエスさまもマリア様もとても大切な存在です。ルカの福音は暗記するほどではありませんが、美しいくてわかりやすい詩のような表現が大好きです。

アッシジの丘やを訪れたり、オリーブの木の下でたくさんの人々とお祈りをしたりある時は孤児のこどもたちと共に食事や身の回りの世話を教会でしていた幸せで充実していた記憶が鮮明に残っています。

世界の平和は誰しもが思うことです。それはあまりにも当たり前で、そして身近ででも、どうしようもなく遠いものであるがゆえに、人々はそれを「白々しい」と口にも行動にも起こさなくなってしまっているのだと思います。

もう1つ鮮明な記憶があります。なぜこんなにも私は神を愛していて私の贅沢をすべて、神と決めて、全てをこめて祈りをささげています。そしたら、あなたは私の望みの全てを下さるとおっしゃるのに、なぜ世の中はこんなにもこんなにも不幸せと腐敗がきえないのでしょうか?という不満と疑問です。ある日のこと、琵琶奏者の人間国宝の方のお話をまとめたコピーをいただきました。そのときに聖フランチェスコの名を目にした瞬間この記憶が一気に鮮明にあふれ出しました。「小さき花」ということばがさらに光を放ってもう平和祈願と絶対成就への情熱は完全な私のミッションとして輪郭を現した瞬間でした。確かに不思議なことも、ファンタジーも大好きですがそれは個人的な満足でしかありません。行動を起こしても、ボランティアをしても、配ったパンもお金も限があります。世界中の富豪が数人集まっても、叡智なきビジネスでは世界は平和にはならないことも十分知っています。そんなある日奴隷船の撤廃運動を成功させたイギリスの貴族の青年の話「アメージング・グレース」のエピソードで有名な映画を観ることが出来ました。心は心でしか、平和は平和の意識でしか手にすることは出来ないのだと悟りました。マザー・テレサは物心の両立を過酷な条件の中で行動と信念でひたすら成就に導こうとされた宇宙の愛の叡智の存在だとおもいます。しかし、私たちには生活があります。その中でさらにすばらしい「ハワイの叡智 ホ・オポノポノ」を知りまして、祈りの力の真髄を掴むことになります。生活を犠牲にしなくてもミクロからマクロの全宇宙をヒーリングすることができるなんて!!どうか、その真理を探究してください。日々の生活の中で。経験を重ねることでそれが実態となって私たちの可視の世界に証明を起こしはじめます。

平和の祈りは、理屈でしたい方はいらっしゃらないことでしょう。よく判らないけれど、したいことだけは判る。のです。私は形に収まることを直感的に今生は選択にしていません。多分いくつも宗教は渡り歩いていたのだと思います。小さなころから見てきたビジョンがあります。この世の全ての物質世界的価値観を超えて集う全く新しい宇宙科学と精神のバランスが整った光り輝く魂たちの活躍する世界です。まるでレムリアの入り口のような世界です。どうか平和も祈りもわたしたちそのものでありますように。世界の平和を臭みなく祈れるわたしたちでありますように。求めることでそれは直感を通して与えられることでしょう。

私たちのハートの中心から 世界に宇宙に 真理の祈りと真の言霊の響きが広がってゆきますように


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。